関東の寺院の山門(仁王門)に見られる茅葺き型銅板屋根の一考察(その1)

注)ここに掲載されている全ての銅屋根の画像は、大熊板金の施工したものではなく他社の施工事例です。
まずは下の画像をみてください。これが何だか分かる人はかなり建築に詳しい人です。
一番右は山門ではないですがこの形式の入母屋造りの堂です。(画像の下のリンクをクリックすると建物全体が表示されます)

1995/06/11撮影 全景
1994/10/23撮影 全景
2008/07/20撮影 全景
1998/09/27撮影 全景
2008/07/27撮影 全景
飯能市 長光寺山門
埼玉県指定文化財
益子町 円通寺表門
国指定重要文化財
目黒区 円融寺仁王門
取手市 長禅寺鐘楼門
練馬区 妙福寺旧庫裏


関西から西日本にお住まいの皆さんには、何これ?っていうほど見慣れない屋根の形でしょう。
ページタイトルで「関東の寺院」とわざわざ限定しているように、関東でも神社にはこの茅葺き型銅板屋根は見た事がありません。
(神社でも神仏習合時代の名残を残している所には茅葺き屋根の門あるかもしれませんが、茅葺き型銅板屋根にしている所は見た事がありません。)

そもそも歴史のある関西の寺院は、本堂/金堂/山門/講堂等の主要建築は本瓦葺き、附帯建築は檜皮葺きというように、建物の性格に応じて屋根材を変えていました。
寺院の屋根素材に茅葺きという発想が無かったと言っても良いでしょう。茅葺き(草葺き)はあくまで庶民の家の屋根材でした。
管理人は京都で学生時代を過ごしましたが、いろいろ巡った京都のお寺で茅葺き屋根のお堂は、東山の法然院の門と嵯峨野二尊院の門、あとは同じ嵯峨野の祇王寺本堂くらいです。
これらはお寺というより「草庵」かそれから発展したもので、当初の雰囲気を残す為に茅葺き屋根を維持していると思われます。

さて関東の寺院はどうだったかと言いますと、古代の国家プロジェクト国分寺は別にして、今では有名な寺院も創建当時の関東では本瓦葺きの堂を建てる事は困難だったと思われます。
関西から見れば関東は辺境の地で、関東平野も家康が江戸入府の頃は一面の湿地帯でした。
屋根材は、周辺にある茅/麦わら/稲わら/杉皮等の植物しかなかったと考えられます。
その創建時の精神や苦労?を忘れないようにと、他の諸堂は別の屋根材に葺き替えたとしても寺院の正面入り口である山門(仁王門)だけは、
茅葺き(草葺き)屋根を残していると考えられないでしょうか!

これが近年になり、素材自体の入手困難・建築基準法による防火屋根材への葺き替え指導・茅葺き職人の高齢化といった様々な要因で、茅葺きの形を残しながら銅板屋根にする
茅葺き型銅板屋根の登場となったと思われます。

しかしここで設計する立場の方は、困った状況に直面します。
山門/仁王門は間口が広く奥行きが少ないので、どうしても切り妻造りにせざるを得ません。
大きな楼門(二階建ての重層建築)なら、入り母屋造りにしないと格好がつきません。これも屋根の端が切り妻と同じ条件になります。
その妻側の上部(昇り軒付けの拝み部分と棟の端)をどういう格好にしたら良いか、モデルが無いのです。
正確に言えば茅葺き屋根の山門や仁王門を探してみても、葺いた直近の屋根に遭遇する事はほとんど稀で、4〜5年も経つと茅がヘタッてボリュームがなくなり、
特に妻側上部はどういう形だったか判断しようが無くなってしまうのです。
そこで上の画像のように、その地域の茅葺き屋根がどういう形だったか想像力を駆使した結果、あのようにシュールな表情の納まりが出来てしまったと言ったら言い過ぎでしょうか!

では切り妻造り入り母屋造り茅葺き屋根の妻上部の納まりはどういう形になっているか、今まで撮りためた管理人の写真ファイルから4例載せてみます。