関東の寺院の山門(仁王門)に見られる茅葺き型銅板屋根の一考察(その3)

注)ここに掲載されている全ての銅屋根の画像は、大熊板金の施工したものではなく他社の施工事例です。
管理人は、銅板屋根工事の参考にする為に様々な本や新聞等の情報で得た銅板で葺いてある社寺を、とにかく無分別に撮影しまくっていた時期がありました。
通常のターゲットのトップは関東の国指定重要文化財、次が都府県指定文化財、それがおおよそ済むと市町村指定文化財へと、銅板で葺いてあれば何でも撮っていました。
これはどんな形の屋根でも、仕事が来た時に、「これは難しくて当社では手に負えません。」と言わないようにするためにでした。
当時はデジカメは無く、銀塩一眼レフにカラーネガフィルムを入れて(カラーポジフィルム→スライド用フィルムの方が退色が少なく保存性が良いが、高い!)撮影し、
このネガフィルムは完璧に整理・保存して約1400本あります。
これをホームページに掲載する為に、Nikonのフィルムスキャナーでデジタル化していました。
ところがこのネガフィルムは退色(カラーネガフィルムの製品規格が古いものほど顕著)してしまうのですね…(ネガだけあれば万全だと過信していた)
プリントしたものをアルバムに貼っても、そのアルバムが何十冊にもなると、その重さで重量鉄骨の床が下がってしまい、50冊の時点でアルバムに貼るのを断念しました。
というわけで、画像処理ソフトでレベル補正しても限界があり(かといってモノクロにしてしまうには惜しい)、多少色が不自然ですがここに掲載してみます。

この妻側上部の納まりが前述の「青梅型」だとは知らずに、「さすが文化財指定ともなるとスゴイ納まりにするな〜〜」と他人事のように感心していました。(笑)

埼玉県入間市 高倉寺 観音堂 建立は室町時代初期、延享元年(1744)に飯能市長念寺より移転。国指定重文
 銅板屋根は昭和26年の修復時の施工と思われる。妻が非常に小さい入り母屋造り。1981/11/22撮影


東京都東村山市 正福寺 山門 建立時期不明、文化財指定なし、銅板屋根は昭和47年の修理時の施工と思われる。
山門正面が都内唯一の国宝「千体地蔵堂」、平成17年に柿葺き全面葺き替え。1988/03/06撮影


東京都日野市 高幡不動尊金剛寺 仁王門  建立は室町時代、昭和34年の解体修理で楼門(入り母屋造)に復元。
銅板屋根はその時の施工と思われる。国指定重文
ネガが完全に退色したのでモノクロに補正。1983/05/22撮影 (カラーの画像は2008/01/04撮影)

同じく 高幡不動尊金剛寺 不動堂  建立時期は不明だが建武2年(1335)山中より現在地に移転の記録がある。  国指定重文
昭和31年解体修理、銅板屋根はそのときの施工と思われる。
巨大な丈六の不動明王像(国指定重文)は、不動堂の後ろの奥殿に鎮座し間近に参拝出来る。
ネガの退色によりモノクロに補正。1983/05/22撮影 (カラーの画像は2008/01/04撮影)

以上に掲載した埼玉県入間市「高倉寺」・東京都東村山市「正福寺」・東京都日野市「高幡不動尊金剛寺」は、東京都青梅市から約20km圏内です。
茅葺き型銅板屋根で、この考察で命名した「青梅型」の妻上部の納まりは、昭和40年代まではこの地域の文化財建造物限定の様式でした。
ところが昭和50年代になりますと、青梅市に於いて注目すべき動きがありました。
それは1980年から84年にかけて、東京都文化財保存修理工事事務所工事主任の白井裕泰氏を中心に、東京都史跡天寧寺山門・通用門・鐘楼・外塀復元工事
東京都史跡安楽寺宝塔・仁王門復元工事が行われた事です。
特に天寧寺山門(入り母屋造りの楼門)通用門(切り妻造りの四脚門)安楽寺仁王門(切り妻造りの八脚門)は茅葺き型銅板屋根で葺かれており、
妻側上部の納まりも上記に掲載した一世代前の茅葺き型銅板屋根を凌駕する精緻さと重厚さで、見る者を圧倒する迫力でありました。

次のページ(その4)では、天寧寺山門・通用門、安楽寺仁王門を紹介します。

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