関東の寺院の山門(仁王門)に見られる茅葺き型銅板屋根の一考察(その6-1)
 参考例 - 平面が方形の仏堂の茅葺屋根の場合

(注)ここに掲載されている銅屋根の画像は大熊板金が実際に施工した屋根と、他社が施工した屋根とが混在して
   いますので、銅屋根の画像毎に注釈を入れてあります。

埼玉県比企郡川島町大字表76にある広徳寺の歴史は古く、何と平家物語に出てくる美尾屋十郎広徳の館跡がそのまま「広徳寺」となったそうです。
城郭や館跡を探訪される方は想像以上に多く、ネット上でも多数のブログに紹介されています。
それに依りますと、山門のすぐ南側に並行していた窪地は当時の空堀跡らしく(こちらを参照)、今でも雨が降ると水たまりになって現場事務所への行き来に邪魔でした。

もう一つ広徳寺で有名なのが、山門の北側にある国指定重要文化財の大御堂です。
(1)関東において、屋根が(2)茅葺きで、(3)方三間(平面が正方形で正面/側面とも柱間が3つ)の、
(4)国指定重要文化財の、(5)仏堂ともなりますと、
以下の7例を数えるのみです。それも広徳寺を除くと全て千葉県にあります。(ここでの考察は(1)〜(5)の限定です)


広徳寺自体は、美尾屋十郎広徳の菩提の為に、北条政子が館跡に建立した寺院と言われています。
国重文に指定されているこの大御堂は、政子が生きた当時に盛んであった阿弥陀信仰から阿弥陀如来が本尊です。
大御堂」という名称は、地名/人名から寺号(大御堂寺とか)にもあり、一般には大きな仏堂の尊称とされていますが、本来は平安末期から鎌倉期に盛んだった
浄土信仰による阿弥陀如来を祀った阿弥陀堂を称したものだそうです。
様式としては禅宗がもたらせる直前でしたので、創建時は純和様であったはずですから、現在我々の前にある建物は細部に禅宗様が取り入れられていますので、
室町初期に創建時の様式を踏襲し、尚且つ当時流行していた禅宗様を取り入れた折衷様式で再建された、と考えるのが妥当と思われます。

広徳寺 大御堂 室町初期再建
2008/06/25 足場上から撮影
千葉県いすみ市(旧大原町)
大聖寺 不動堂 室町時代
1994/03/27 撮影
千葉県市原市吉沢
鳳来寺 観音堂 室町時代
1994/11/13 撮影
千葉県市原市平蔵
西願寺 阿弥陀堂 室町時代
1994/11/13 撮影

千葉県本南房総市石堂
(旧丸山町→館山市→南房総市)
石堂寺 薬師堂 桃山時代
1994/12/18 撮影

千葉県印西市(旧本埜村)
栄福寺 薬師堂 室町時代
(向拝部は江戸期の増設)
1995/01/16 撮影

千葉県印西市小倉
宝珠院 観音堂 室町時代
(通称 光堂)
1995/01/16 撮影


平面が真四角なのに、茅葺屋根の最上部には正面に並行した小さな棟のある「寄せ棟造り」であるのにお気付きでしょうか!
これは茅の束を軒裏の竹に藁縄で緊結させるという方法のため、最上部にはどうしても棟を作らないと雨仕舞いができないのです。
その為に側面側の勾配を強くしてまでして寄棟にし、短い棟を作らざるをえないのです。

それでは茅葺き型銅板葺きの様々な事例を上げて、如何に茅葺きをイメージしながら銅板屋根に葺き替えたか、まずは
茅葺き屋根の基本からどうぞ。
1) 茅葺屋根は矩勾配(45°)に近い急勾配である。(豪雪地帯はさらに急勾配)
  →茅の束を根元を表面に重ねて縛り、それを大量に重ねるだけなので、雨が滲み込んでも厚さと勾配で水が切れてしまうという考え方である。
2) 桧皮葺や柿葺きが照り(てり)屋根(中程が凹んで反っている)に対し、起くり(むくり)屋根(中程が膨らみ、上に行くに従って勾配が緩くなる)である。
  →上記画像では広徳寺はほほ直線、大聖寺は起くりが充分ある状態、鳳来寺は逆に照り気味、西願寺はまだ起くっているが、これらは全て茅を葺いた時期
   からどれくらい経ったかによる変化である。経年変化でしだいにヘタってくる。つまり屋根を起くらせて水が多い軒先ほど急勾配にし水を切るという考え方である。
3) 起くり(むくり)ながら隅に行くに従って、軒先を反り上げている。
  →この矛盾した?形態を可能にするのは大きなハサミひとつだけらしく、またそれゆえにこそ可能な芸当かもしれない。
   実際の茅葺き作業2000/01/11撮影 足場  箕甲上部刈り込み 2006/03/05撮影 完成全景
   ただしこの刈り込み方は地方地方でそれぞれ固有の形があり、市町村で移築公開している茅葺き民家の中には、あれ?(ここら辺の格好じゃないんじゃない?)
   というケースもあるが、地元に職人がいなくなれば遠くから招聘せざるを得なくなるのでそちらの格好になってしまうのだろう。
   この形を銅板で、下地を垂木と野地板で表現する事は非常な困難を伴うので、起くらせないで直線としたり、檜皮や柿のように反らせたりして折衷スタイルにせざるを得ない。
4) 軒先裏側(下側)は非常に緩い勾配で茅の小口を切りそろえてある。
  →この角度も地域によってかなり違う。経験変化で茅のボリュームが無くなって来ると、水平近くなり逆勾配になる事もある。
   国指定重文 茨城県益子町 西明寺楼門の妻側軒先の経年変化による軒先の角度 1998/09/13時点の状態 2011/03/02時点の状態
5) 檜皮葺きや柿葺きが湿気の多い山中や木の影で苔が生えたりしても何ら問題がない(乾燥地域や直射日光が当たる場所では、縦に割れてしまう)のに対し、
   茅葺きは逆に湿気に弱く常に陽が当たって乾いている方が長持ちする。北側の陽が当たらない部分ほど、雑草が生えたりして傷みやすい。
  →常に乾いている方が良いというのは防火上では最大の欠点で、埼玉の秩父地方では荒川の対岸(かなり距離のある対岸)を走っていたSLの火の粉で火災になった例もある。
6) 茅の束は藁縄で竹の骨組みに縛って固定するが、この縄が腐らないように民家では常に囲炉裏で煮炊きをし、その煙が軒裏の藁縄や竹に付くようにしていた。
  →お堂ではそれが出来ないので、民家よりも耐久年数が少なくなると思われる。ただし現在は葺き替え時に、燻蒸装置でこれを行うという方法が開発されている。

では設計施工会社も銅板施工業者も、この茅葺き型銅板葺き屋根をどう葺いたか、苦労の結果をご覧ください。

同じ方三間の国重文でも、屋根を銅板に葺き替える例ではこの制約が無く、路盤/宝珠を備えた「方形造り」の屋根となっています。
但し軒先はいわゆる茅葺きであった建立時のように、何段にも銅板を葺いて軒先の出を茅葺き当時の位置に雨が落ちるようにしています。
それ以外は檜皮葺きや柿葺きの形そのもので、むしろこの形の方が見慣れていると言えば言えるのですが・・・ 
国重文 埼玉県飯能市虎秀 福徳寺 阿弥陀堂 鎌倉末期 1995/06/15 撮影
(他社施工)
次は、同じ方三間の茅葺き屋根はそのままにして、茅葺きの上に垂木を流し野地板を張って、茅葺き屋根そのままの形に銅板で葺いた例です。
上記の重文の七例と同じような棟がありますが、平面が正方形でも無理に側面の勾配を強くしてまでして棟を造った結果、正面と側面との勾配が
著しく異なっている傍証となるでしょう。
降り棟を蛤葺き(廻し葺き)にしないでハゼ組にしてしまえば、いくら勾配が違ってもかまわないのですが、茅葺きの降り棟の丸みが強く、
蛤葺きにしたかったのでしょう。
こういう場合は、勾配の強い方(側面)の銅板の葺き足を正面の段数で割って短くすれば降り棟で、横ハゼが正面/側面が同じ位置になります。
ただしこの場合は蛤が変形したもの(正面葺き足が長く、側面が短いという変形蛤)になります。
文化財指定は無いのですが、火災報知機も設置されていてそれなりの価値が高いお堂なのでしょう。
板金屋さんの苦労の跡がヒシヒシ感じられます。   栃木県 某寺 2008/09/28 撮影  (他社施工)
方三間でなく二間で、茅葺きを方形屋根にして露盤宝珠を乘せてある葺いてあるという、非常に珍しい珍しい「重層の鐘楼」があります。
この鐘楼は栃木県指定文化財で、坂東観音霊場20番札所 栃木県益子町の西明寺にあります。
平成6年(1994)6月から平成7年(1995)3月にかけて、解体修理ではなく建物本体を持ち上げるという珍しい修理工法が取られました。
 建物を 持ち上げている状況と下の土台  茅葺屋根の竹の骨組みアップ 
3年後の1998/9/13撮影の露盤下の茅葺きの雨押え?は、まだこのような状態でした。露盤&宝珠は当地の益子焼にも見えますが??
右の画像が2008/06/25撮影ですから、約13年でこのような状況に至っています。

民家の茅葺き屋根は今までは40~50年は持つと言われていました。(腐食した部分を差し替えたりして、常に補修をしていた場合です)
現在では、特に文化財のお堂ではやたらに修理出来ないので、20年くらいで葺き替えが必要という事です。(広徳寺御住職 談)
右の例は路盤下の茅葺きの厚みが経年変化で減少し、茅葺きとの間に隙間が出来てしまいました。
修理後13年という時間は長いのか短いのか、やはり茅葺きで棟を造らず方形に葺いて露盤を乗せるのは無理なのか、
考えさせられる画像です。2011/03/02撮影の露盤宝珠状況
上記の茅葺き屋根の基本 3)のように、起くりながら隅に行くに従って、軒先を反り上げている。 を実際に銅板でやったらどうなるでしょう?
右の画像がその例です。側面はこちら 埼玉県川口市芝 長徳寺 仁王門 2009/01/11撮影  (他社施工)

上下方向に起くりを付けながら、軒先を左右方向に増しを付けて反り上げるという、矛盾したテーゼを見事に止揚しています!
降り棟全体にも起くりを付けてあります。軒付けは11段(奇数が基本)です。その割にはある筈が無い鬼板があり、棟も普通の銅屋根仕様です。
もしも棟が茅葺き風でしたら、「そうか、この屋根は茅葺き屋根の形を再現したのか!」と理解できるでしょうが、建物の前に立つとその
屋根のボリュームに圧倒され恐怖感さえ感じます・・・ここまでする必要があるのでしょうか!?

上記の茅葺き屋根の基本 4)のように、 →経験変化で茅のボリュームが無くなって来ると、水平近くなり逆勾配になる事もある。 の例です。
茅葺きの軒先の屋根面と軒付けとの角度は地域によって、かなり違います。一般に千葉県はこの角度が少なく、逆勾配の例もよくあります。
一見、逆勾配で軒先が建物本体より下でしたら水が回らなくて良いのではないかと思いますが、銅板でこれをやりますと大変な事になります。
右の例は千葉県の某寺の鐘楼ですが、クリックして拡大してみると軒側の軒先角度が非常に鋭角的です。(他社施工)
次の考察(その6-2)の工事中の軒先画像に、矢印で角度を入れてみました。→こちら 
赤い矢印が(その6-2)の角度で、青い矢印が右の鐘楼の推定角度です。
銅板は必ず下から葺いて行きますので、軒先詳細画像ですと軒付けは、軒先から建物側に10段で葺いてあります。
軒側はこれで良いのですが、そのまま角を回し葺きにして妻側の登り軒付けとして葺き上げています。
ところが妻側は軒側と違って、しだいに軒先の方が建物側より上になっていきますので、この葺き方では妻側の横ハゼに雨が吹きかけた場合
横ハゼの中に水が浸入してしまう恐れがあります。
実は(その5)の自社施工例でも、青梅型の妻軒付けの最上部に逆ハゼになる所があり、丸みを修正してもらいました。→この部分
かように、銅板というのは0.3〜0.35mmの厚さで縦横のハゼを組み合わせて葺き上げるものですから、水がどちらへ廻るか、
細心の注意を払って施工しなければなりません。
茅葺きの場合は平面が方形(真四角)でも正面と側面の勾配を変えて(つまり降り棟を振って→振れ隅にして)、敢えて棟を造るという例を
実際の重文のお堂で示しましたが、では銅屋根の場合で、平面が長方形(右の例では奥行きが6尺正面より長い)の建物を、
露盤宝珠を付けた方形屋根にしたのが右です。(当社施工) 画像は施工後1年後の1996/12/29 撮影
定尺(4尺×1尺2寸)の四つ切りの葺き足は4寸5分ですから、これを坪数の多い両側面にし、正面&裏面と葺き足の違いを正確に計りました。
すると1枚当り1分5厘の差でしたので、銅板問屋の工場に注文し2尺の大コイルを4寸6分5厘に使用枚数だけ切ってもらいました。
当然、降り棟の蛤ふきも片方は4寸5分・他方は4寸6分6厘の変形蛤となります。
ただし露盤下の雨押さえの角は、これだけ振れるとなかなか降り棟の頂点には行かず、正面・側面とで若干高さが違ってきました。→こちら
方形屋根は真四角な平面だという先入観がありますから、まさか奥行きの方が長いとは思わないでしょうね。

ここまでの結論として
1) 茅葺き屋根の形は、その茅の束という素材の特性がもたらした必然的形態であり、銅板でこの形態を模すには一定の省略と銅屋根自体の特性を
  併せ持つ形態にならざるを得ない。
2) 茅葺きの形そのものを表現しようというのは、あまり意味がないかもしれない。(その地域に無い形や必要以上のデフォルメはしない方が・・・)
  どこかで装飾性と機能性(雨から建物を守るという本来の役割)との妥協が必要かも?
3) 茅葺きの最大の長所というべき軒付けの出の多さを再評価し、軒先を出来るだけ身舎(おもや)の外に出して(軒の出を深くするという意味で)
  建物本体や広縁を雨から遠ざける。
  (例えばこちらは神社ですが、これを茅葺き型銅板屋根とは言わないでしょう?)

次は「茅葺き型銅屋根の一考察」最終章(その 6-2)です。
広徳寺仁王門を例に、茅葺き型銅屋根で「入母屋屋根」にした場合の考察です。                        

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