旧埼玉県知事公舎の天然スレート(石板)屋根 葺き直し工事

(注)ここで言う「スレート」とは、本来の天然スレート材の事で、単にスレートと言う場合は「玄昌石」を割った石板を意味します。
   玄昌石は、国内では宮城県登米(とめ)市と石巻市雄勝(おがつ)町周辺だけに産出する石材で、屋根材として明治期より
   様々な洋風建築に使われ、現在復元工事中(ドーム型屋根にも使われる予定)の東京駅にも使われていました。


弊社地元の蕨市三学院には、旧埼玉県知事公舎を移築したといわれる応接間があります。
移築の経緯や時期さらに建築時期などは不明ですが木造平屋建ての洋館で、外観細部に凝った意匠もあり、当社の会長(実父)が
修行時代にはすでにここにあった事から、昭和初期に移築されたのではないかと推定されます。
建築時代はさらに遡るはずですから大正時代に作られたことは間違いないでしょう。

まずは完成後の画像をご覧ください。2010/01/07撮影

広大な三学院の境内のどこにこの洋館があるか、ご説明します。
旧中仙道から参道を入ると、まず高麗門形式の総門を通り、市道を越えた駐車場の正面が仁王門で、
その正面が本堂です。
仁王門の左右には築地塀が続き、左側には長屋門がありここから入ると正面の唐破風屋根が法事や
仏事の時に使用する受付玄関です。その左側の小さな唐破風屋根左(画像では見えない)が一般受付玄関です。

また長屋門の左に廻ると、葬祭場へ行く石張りの車道があり、その正面に見えるのが当該建物です。
旧知事公舎は画像左側の一般受付玄関の左隣りに、住職家の住まいへ連なる廊下に接続してあります。
竹垣で区分された内側は住職家のプライベート空間で、一般には公開されていません。
と言いましても、この洋館は三学院のシンボル的建物で、檀家のみならず一般市民にも親しまれている風景です。

施主様のお寺側から示された要望は以下のようなものでした。
1. 裏側(北側)は住まい部分の銅板葺きの建物と連結していて、既に銅板屋根が谷としてスレート屋根の半分くらい占めているので、
 北側部分のスレートを撤去し、雨仕舞いの良い銅板で全て葺き直して欲しい。
2. 南側はスレート自体かなり痛んできたので一旦スレートを撤去し、腐食した木部や野地を修理し、再びスレートに葺き直して欲しい。
3. 北側部分のスレートと合わせれば、割れたスレートを除いても既存のスレート材で間に合うと思うので、これでやって欲しい。
 (前からのイメージを損なわないように、新しいスレートは使用しない!?)
ということでした。一番の問題は、肝心のスレートがどの程度葺き直し可能なのか(その歩留まり→使える分の比率)でした。

では、工事を始める前に撮影した現状は、こういう状態でした・・・2009/09/16〜17撮影

No.1 南面全体
No.2 南面出窓部分
No.3 南面箕甲部分
No.4 北面東側
No.5 北面西側
No.3 南面葺き足

遠目では目立たないのですが、下から望遠レンズで撮ったNo.1〜3では割れ/欠落/コーキング詰め/針金で吊ってあるのが見られます。
No.4は昭和60年(1985)に増築した客殿の屋根が直交しています。
この時に銅谷を入れるために一旦スレートを外して葺き直し(当社施工でしたが、管理人は担当せず)ました。
その時に大量のスレートが破損し、No.5の上部にある新しいスレート(真っ黒で整った形のもの)を取り寄せて葺いたようです。
この北面の工事経過をと、南面に足場を設置して現状と工事方法の説明として、お寺に提出したプリントが以下です。

いよいよ南面のスレートを外し始めます。すると思った通りスレートの下はトントン葺きでした。
でも社寺の瓦屋根の下地に使われる木を割った土居葺きではなく、昭和30年代くらいまで一般住宅の瓦屋根下地に使われていた
薄い(1ミリあるかどうか)いわゆるトントン葺きでした。同時に出窓部分の葺き足をゲージに出しておきます。


外したスレートは、実に4種類も色や縦横のサイズの違うものが混在していました。
(1)は全体の70%を占めていた移築当時のものと思われるスレート。
(2)は南面の補修用に差し込まれていた長いもので約30枚、これと同じサイズで茶色いスレートが
  北面に40枚ほど使われていました。
(3)は北面の銅板客殿増築時に、棟の下に3尺葺かれていた真っ黒で幅広の長いスレート。
  これら4種類を南面の同じ列に並べると、色違いも目立つし葺き足も異なるので、
  比較的目立たない一番下の出窓部分に(2)を使ってしまい、出窓の足りない分は(3)を使いました。
  まだ余裕のある(3)は、(1)を全て葺いて無くなった時、棟近くに使う為の予備としました。

外したスレートは、そのまま葺き直しの為には使えません。
(2)(3)のように、材質が硬く水の浸透による裏面の風化がほとんど見られなかったスレートは、まず亀の子タワシで両面の埃を除き
次に裏面に接着強化剤のプライマーを塗り、その上に1.5mm厚のゴム系ルーフィングのガムロンを貼りつけました。
全体の70%を占める(1)のスレートは、葺かれていた場所や下地のトントン葺きの状態(腐食して水が滞留する部分もあった)で、
著しく裏面の風化状態が違いました。(余りに酷い状態のスレートは外す時点で折れてしまうし、使えそうと思ってもこんな状態のもあった)
とにかく全ての外したスレートは屋根から下ろし、補修の為に倉庫へ運びました。(北面部分のスレート
(1)の大量にあるサイズのスレートは、まず風化した部分を除去し、プライマーを塗ってから凹んだ部分に石材用接着剤をぬって平にし
その上にガムロンを貼りました。この処置により例え屋根の上で横に割れても、下に1.5mmのガムロンが貼ってありますから落下しません。
スレート下側の小口が劣化しているモノには、小口に石材用接着剤を塗り、スレートの粉を押し付けて劣化防止処理しました。
補修処理したスレートはサイズ毎や外した段数毎に倉庫に一時保管となります。

スレート補修と同時に、屋根の野地もやり直しています。

No.1 上部上野地
No.2 腐食部
No.3 東側広小舞現状
No.4 トントン撤去
No.5 野地現状

No.1 北側は12ミリのコンパネでしたが、スレート葺き直しの南側は9ミリのコンパネにしました。
   これはスレートの重なりが2枚(先端部では3枚)となり、大棟の頂点の勾配が違ってしまうのを避けるため、3ミリ薄いものにしました。
No.2 トントン葺きは所々スレートの割れや重ね目から浸入した水で、腐食していました。下の野地板は厚いので大丈夫でした。
No.3 しかし東側の軒先の広子舞と登り3尺程は、腐食が酷く修理しなければなりません。。
No.4 スレート葺きなのに、勾配を変えるというデザインにはやはり無理があり、この地点に水の浸入が起きています。
No.5 東側広子舞は黄色矢印部分の隅から出窓の棟までと、登り黄色矢印部分くらいまで修理しました。

No.1 広小舞修理後

No.2 軒先
No.3 カラクサ
No.4 ガムロン貼り
No.5 ガムロン終了
No.6 棟の返し

No.1 修理した広小舞の中程にコンパネが行くようにしてあります(それより上では段差が出来てしまう)。
No.2 垂木から広子舞までの出が出窓の左右で違うので、平均化してその先は端材を打ち付けました。
No.3 出窓部分にもここと同じように、カラクサを付けて水がさらに先に落ちるようにしてあります。
   通常の銅板カラクサの出は5分ですが、既存のスレートの出が8分でしたので、北側銅屋根部分も南側スレート屋根も同じ8分出にしました。
No.4 ガムロンは通常勾配が取れない屋根の下葺き材ですが、スレート屋根は重ねるだけで水が廻る心配から南側全面にこのガムロンを貼りました。
   裏側が粘着するようになっており、保護紙を剥がすと下地にくっつきます。貼り直しは不可能でかなりの熟練が必要です。
No.5 ガムロンを屋根全面に貼り終わった状態。やっとシートをかけたり外したりの作業から開放されました。
No.6 念の為に、北側銅屋根部分までガムロンを返してあります。

No.1 スターター

No.2 4段目まで

No.3 割付

No.4 身舎と合体

No.5 身舎の張り始め

No.1 スレート(人造スレートも同じ)屋根は、縦の継手をズラして重ねるのですが、張り始めにはスターターを入れて同じ勾配にします。
No.2 上記4種類のスレート材の解説のように、(2)(3)の縦寸法の大きいスレートここに集中して使用したため、葺き足も大きくなり
   既存スレート屋根の出窓部分が12段だったのに対し、新規では10段に割り付けました。
No.3 身舎(おもや)部分の軒先と出窓部分の葺き足が一致するように、糸を貼って慎重に葺きます。
No.4 出窓部分の10段目の上端と 身舎のスターターの上端がズレているのは、このズレの分だけ三重に重なるという意味です。
   本瓦棒葺きの平瓦は必ず二重になっていて、上の瓦が割れても下の瓦がその水を受けるというのと同じ考えです。
No.5 身舎部分の東側と出窓の間に高低差( 身舎部分の最後の垂木が下がってきた為)がありますが、何とか東西で連結出来ました。

No.1 角度変わり部

No.2 下から見上げ

No.3 東、箕甲部

No.4 西、箕甲部

No.5 出窓周囲

No.6 張り上がり

No.1 屋根の角度が変わる部分には、葺き足の短いスレート(その為に取っておいたもの)を2段重ねます。
No.2 下から見上げると、角度が違ってくるのがよく解ります。
No.3 箕甲部分は何段か葺き上げてから、まとめて葺きます。箕甲用にも巾の狭いスレートを残してあります。
   丁度いい巾のスレートが無かった場合は、石屋さんから借りた御影石用の切断カッターで縦に切りました。
No.4 左右同じように、糸を張って葺き上げていきます。
No.5 出窓(換気窓)の丸谷部分は、切断カッターが無ければどうしようもありませんでした。
No.6 スレートの枚数が足りなくなるかヒヤヒヤものでしたが、予想通り(1)は無くなり(3)の新しいスレートの登場となりました。


No.1 棟下地修理

No.2 取付け

No.3 過程

No.4 大棟完成

No.5 東から見る

No.6 南東から見る

No.1 大棟の下地材は割れた部分を修復して、再び元に戻します。
No.2 これだけ大きい部材ですから反ってしまうのは仕方がなく、コンパネ下地も凸凹でしたので、凹んでいる部分はルーフィングを重ねて平らにします。
No.3 南北の箕甲の頂上部分の納まりは3つの工程が必要でした。
   まずスレートの上に銅板で捨て張りし、北側に返して返して釘止めし、半田付けでアールをある程度固定します。
   つぎに北側の銅屋根部分を仕上げ、今度はスレート側に返しを付けてハンダ付けします。
   最後にスレート側の上ハゼ(下側のハゼ)を捨て張りに噛ませ、アザ折りした頂点だけをハンダ付けして仕上げました。
   スレート側の銅板は、大宮氷川神社修理で使用した人工緑青銅板です。
No.4 最後に既存の棟飾りの角度を修正して取り付け、やっと完成しました!!
No.5 出窓の屋根部分の色違いが目立つと言われればそうなんですが、大きさの違うスレートはここにしか使える所がありませんでした。
   最終的には(3)の黒くて新しいスレートが30枚弱残りました。それと大量の使い物にならなかったスレートが・・・!

単管足場(その1)(その2)も当社で組みましたし、野地補修の大工工事も当社で施工しました。もちろんスレート葺きも。銅屋根は本業なので。
ただ、いつまで経っても白いシートが屋根を覆っていて、なかなか工事の進捗過程が見えず、施主様や檀家の皆様に「いったいいつまでやってるんだ?」と
ご心配をおかけした事は深くお詫びいたします。
完成後もスレート自体は元から屋根にあったものを再び戻したものですので、見かけは修復前と変わらないかもしれませんね。
とは言え、このような貴重なスレート屋根を葺き直すという貴重な経験をさせていただいた施主様には、深く感謝するしだいです。
非常に特殊な例ですので、ネットでご覧になられる皆さんには直接参考になる事は少ないかも知れませんが、稀なケースほど経過を保存する
意味があると判断して、ここに掲載致しました。
参考のために、使用した石材用接着剤/ガムロン/プライマーの数量はこちら、日数(実働日)は70日、人工は124人でした。

    (有)大熊板金  大熊章一  拝

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